できぬ堪忍するが堪忍―。
創業者の信念が今も息づく
ヤマダイグループの始まりは、小林富作が魚市場で木箱を貸し出していたことにさかのぼります。
富作は小樽の網元の家に生まれたいわゆる“お坊ちゃま”でしたが、家業が頓挫して幼くして奉公に出されました。22歳の時に出征し、3年間のシベリア抑留を経て、兄を頼って函館へ。函館山の麓を拠点にリヤカーで魚を売り歩き、市場を出入りするうちに、使い捨てされている魚の木箱を再利用して貸し出す「箱屋」の仕事を始めました。その後、市場との縁も深まり、1963年に場内の清掃や競りの準備を担う「函市作業組」を設立しました。裏方仕事は報われないことが多い。それでも彼らは函館が誇る水産業を陰で支え続けています。
【 水産市場の作業請負 】
株式会社 函市作業組
1963年11月 : 函館市水産物地方卸売市場での荷役業務として創業
信頼から生まれた会社が
信頼を運び続ける
富作は脳梗塞のため67歳の若さで息を引き取り、長男の小林繁孝に事業が引き継がれました。このころの函館の市場はイカの豊漁でかつてない賑わい。そんな中、魚を市場から運び出す運送の仕事は朝が早いため業者から敬遠されがちでした。そこで運送会社の人たちから「ヤマダイさんでやってくれないか」という声を受け、廃業予定の事業者を買収して「ヤマダイ大作運輸」をスタートさせました。
仲間たちの恩義が大きな形に
運送業では魚のほかにもさまざまなものを運ぶように。納豆もその一つでした。
荷主である大手メーカーから「北海道で販売するうちの納豆をヤマダイさんで作ってくれないか」との打診が。繁孝は当初は断ろうかと思ったが、従業員の雇用を安定させる絶好のチャンスと捉え「ヤマダイフーズプロセシング」を創業しました。その後は経営が傾いた同業を吸収しながら事業を拡大。従業員の雇用を可能な限り維持し続け、集まった仲間たちの力でヤマダイグループの大きな柱に成長しました。
地元が誇る
新しい海産物の魅力を全国へ
函市作業組で展開していた海産物の加工や通信販売などの事業を「山大」として法人化しました。そこには地元の魚を長年見てきたというプライドを持ち、「自分たちの経験と発想を生かした函館の新しい水産加工品を作りたい」という思いがありました。良質な原料と手間暇を惜しまず製造方法にこだわった「函館山大」は数々の賞を受けるなど全国的にも高い評価をいただいています。
地域の産業を縁の下で支える存在に
函市作業組が作業を請け負っている函館の水産市場は地元の繁忙期と閑散期の差が大きく、仕事が少ない時期に引っ越しなど他社の作業を請け負ったのがヤマダイの人材派遣業の始まりです。長年の経験があるヤマダイは質の高い労働力を提供し、地域のあらゆる産業を縁の下で支えています。
【 人材サービス 】
株式会社YGフラッグシップ
(現 株式会社ヤマダイグループ)
2003年1月 人材サービスを目的に設立
ヤマダイと地元の食で
最高のおもてなしを
ヤマダイの納豆や水産加工物を自分たちの手で直接お届けできる場所を作りたい。そんな思いから函館五稜郭公園の近くに居酒屋「旬の味 ご馳走亭」をつくりました。漬け魚や納豆を使った創作料理、地元で採れた新鮮な魚介などを提供しています。地域の方々や観光客の皆さんが、集い、語らい、最高の時間を過ごしていただける空間を目指しています。
1963